2017年05月29日

に手を振り朝

今回の小説のことは、もうお父さんにDPM價錢
い、いえまだですけど」
だと思った。
じゃあね、マキさん、出来るだけ早くでいいからあなたのお父さんにこの受賞のことを伝えて・・・、そして今までの自分がここにこうして生きていられることを手助けしてくれたことについて、なんでもいいから、お父さんにあなたの心からの感謝の言葉を送ってあげてほしいんです。
そうすればきっとお父さんも今までのあなたのこと、もちろんすべてとは言わないけれど、きっとわかってくれると思うんです。
そのことだけはわたしには何故かわかるんです。
でもその理由は訊かないでね?」
はあ・・・」
だからどうかマキさん、自分の人生にとってとてもDPM枕頭・・・、とても大切なお父さんとの関係について出来ればすぐに決着をつけてみてください。
それだけがわたしからのお話を聞かせていただいたお礼のアドバイス」
と言ってヒカルさんは初めて(見るからに)感情のこもった?そんな愛に溢れる暖かい笑顔をこのわたしに見せてくれた。
あ、ありがとう。
なんだかわからないけど、ヒカルさんにそう言われてわたしもちょっとそんな気がしてきた。
なんでだろう?ちょっと不思議。
だから・・・そう、そうよね。
わたし、連絡してみる。
明日にでもさっそく父に電話、入れてみようかな?」
と言ったわたしのひと言がその締めの台詞とでも言うようにこの「赤い砂漠」での「わたしの告白話を聞く会?」はほぼお開きの運びとなった。

それにしても今日まで、我ながらいくつもの奇妙な出来事に翻弄されつつどうにかこうにか生きてきた。
気づけばもう、後3年で40か?
っていやいやどうして、オンナとしての楽しみはまだまだこれからだ。
まだ見ぬ本当のソウルメイトとの出会い、それに高齢ながら出産だってまだあきめたわけじゃない。

そう・・・、わたしの人生はこれから。
すべてはこれから始まるのだ。

なんて宵越しとは言えそんな爽やかな気分に浸りつつ、もうすぐ朝日が鳥の声と供に顔を出しそうな時間になってようやくわたしとヒカルさんは「赤い砂漠」を後にした。
ヒカルさんはもともと酒が強いのか?それとももう酔いも醒めていたのか?ほとんど素面の冷静な物腰でタクシーを拾うと例の無表情な笑顔でわたしに手を振り朝もやの区役所通りへと消えた。

帰宅後、午前中はベッドに倒れ込んだまま死んだように爆睡し、午後の2時過ぎにうとうとと目を覚ますと、わたしはヒカルさんからのアドバイス通りに実家の父宛に電話をかけてみることにした選床褥

数回の着信音の後、いつものように母が電話を取り、わたしが父にちょっと大事な話があるからと言っても「話すことなどない」と言ってるとの母の伝言が返されるばかりで、いい加減もういいか?とくじけそうになりつつも、その後わたしから母に話した小説の入賞のことや今は「ひとりでどうにか生きてる」などの話を横で間接的に聞いたことで何か思うことでもあったのだろう、最後にはようやくいやいやながらもと言った口調で父は電話に出てくれた。
わたしはあくまでも真摯な態度で今までずっと心配させてしまったことを素直に父にあやまり、ヒカルさんからのアドバイスに従い最後にひと言、
こんなわたしを、ずっと育ててくれてありがとう・・・、お父さん」
そうささやくように言ったわたしに(しばしの沈黙をおいて)、



Posted by 作戏レクトリウムのベッドよりは技術だ at 12:02│Comments(0)
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